7月の読書メーター

7月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:1905ページ
ナイス数:27ナイス

寛容力 ~怒らないから選手は伸びる~寛容力 ~怒らないから選手は伸びる~
タイトルが自己啓発本っぽくて手に取りにくいかもしれないけど、渡辺監督の現役時代からの自叙伝的な内容で、普通のスポーツ選手の本のように読みやすかった。西武の監督を引き受けて初年度での日本一は偶然ではなくて綿密な計画と実行により成されたものだということが読み取れる。渡辺監督自身も新人時代は「新人類」と呼ばれ、上の世代が理解できない若い世代という立場を経験しているからこその寛容的な考え方があるのだろう。台湾で選手・指導者として活躍していた時期や二軍監督時代の話なんかも結構書いてあって興味深かった。
読了日:07月28日 著者:渡辺 久信
ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)
ジキルとハイドという言葉をたまに聞くので興味があって読んでみた。禁欲的な生活をしてきたジーキル博士が欲望を開放したいという思いからハイド氏が生まれる。いったん欲望を開放させると元の禁欲的な生活に戻るのが難しくなり、最終的にはハイド氏の人格にとり憑かれるようになる。欲も我慢しすぎるとツケが回ってくるから上手に解消していきましょう。
読了日:07月24日 著者:スティーヴンソン
適当論 [ソフトバンク新書]適当論 [ソフトバンク新書]
古田敦也が、50歳過ぎたら高田純次になりたいと言ったらしい。何が古田にそう言わしめたのか…精神科医の和田秀樹との対談で、高田純次の魅力を垣間見ることが出来る一冊。彼は適当男と言われているけど中身はしっかりした人だと思うな。適当っていうのも和田秀樹の言うような、完全主義や白黒の世界から間を置いた適当なグレーの存在とでも言うのだろうか。彼の発言で印象に残っているのは「人生はバランスだ」ということ。自分も高田純次のようになりたいと思ったけど一朝一夕になれるようなもんでもなさそうだ。高田純次は一日にして成らず。笑
読了日:07月12日 著者:高田 純次
星の王子さま (新潮文庫)星の王子さま (新潮文庫)
いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって一番のバラなのだ。大切なものは、目には見えない。同じように見えても、違うんだ。見えなくても、感じるんだ。
読了日:07月12日 著者:サン=テグジュペリ
バルタザール・グラシアンの 賢人の知恵バルタザール・グラシアンの 賢人の知恵
正しく生きるな、賢く生きよ。20代過ぎてから読んだけど、もう少し若い頃に読んでいたらもっと感銘を受けていたかもしれない。先に書いてある事と矛盾した事が後に書いていたりするけど、ケースバイケースで使い分けろってことなのかな。ショーペンハウアー先生もお薦めの本です。笑
読了日:07月12日 著者:バルタザール・グラシアン
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
自分も捻くれてた時期もあって共感できるし、その痛々しさも伝わってくる。捻くれてる人はそういう自分自身も嫌っていたりする。ライ麦畑のつかまえ役になりたいし、つかまえてもらいたい。「大好きだ。この本で成長したよ。ホールデン・コールフィールドが本の中で言ったことは、僕にとって大きな意味があった。」と、ジョニー・デップも愛読書として挙げる一冊。
読了日:07月12日 著者:J.D.サリンジャー
変身 (新潮文庫)変身 (新潮文庫)
色々あってグレゴールは衰弱して死に、家族はグレゴールと住んでいた家を出て引っ越す。最後は皆、グレゴールの世話をしていた娘でさえもグレゴールを嫌っていたように見えた。家族の一人の状態が変わってしまったことで家庭が変調をきたし、フラストレーションのようなものや不安が溜まっていく中、その原因の家族が亡くなることで希望のようなものが見えてくる…こういうストーリーは映画「ギルバート・グレイプ」に似ているなぁと思った。
読了日:07月12日 著者:フランツ カフカ
フラニーとゾーイー (新潮文庫)フラニーとゾーイー (新潮文庫)
『何がエゴで、エゴでないかについては、神が最終決定権を持っているんだ。』 『俳優の心掛けるべきはただ一つ、ある完璧なものを‐他人がそう見るのではなく、自分が完璧であると思うものを‐狙うことなんだ。観客のことなんかについて考える権利はきみにはないんだよ、絶対に。とにかく、本当の意味では、ないんだ。』 『「太っちょのオバサマ」でない人間は一人もおらんのだ。』 『愛の限りをこめて フラニー キスキスキスキスキスキスキスキス』
読了日:07月11日 著者:サリンジャー
孤独と人生孤独と人生
人生の苦痛は他者との関わりから生じ、それを出来るだけ避ける事が幸福の秘訣であると著者は述べる。幸福である為にはまず健康であること、生活に困らない程度のお金があること、そして孤独であることを挙げている。共感できる部分も多いが、もっと他者との関わりの中で幸福を感じられ得るのではないかとも思うが、著者によればそれは若いからだと一蹴されそうだ。その他にも色々と為になりそうなことが書いてあるが、まとめきれないのでまた読もうと思う。
読了日:07月01日 著者:ショーペンハウアー

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「サン=テグジュペリ / 星の王子さま」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE

『王子の星は家ほどの大きさで、そこには3つの火山と、根を張って星を割いてしまいそうになるバオバブの芽と、よその星からやってきた種から咲いた1輪のバラの花があった。王子はバラの花を美しいと思い、大切に世話していた。しかし、ある日バラの花とけんかしたことをきっかけに、他の星の世界を見に行くために旅に出る。王子は他の小惑星をいくつか訪れる』

そうして王子は6つの小惑星の大人たちと会う。そして…

『6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子は7番目の星、地球へと向かう。
地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに 出会う。その後、王子は高い火山を見、数千本のバラの群生に出会う。自分の星を愛し、自分の小惑星の火山とバラの花を愛おしく、特別に思っていた王子は、 自分の星のものよりずっと高い山、自分の星のバラよりずっとたくさんのバラを見つけて、自分の愛した小惑星、火山、バラはありふれた、つまらないもので あったのかと思い、泣く。
泣いている王子のところに、キツネが 現れる。悲しさを紛らわせるために遊んで欲しいと頼む王子に、仲良くならないと遊べない、とキツネは言う。キツネによれば、「仲良くなる」とは、あるもの を他の同じようなものとは違う特別なものだと考えること、あるものに対して他よりもずっと時間をかけ、何かを見るにつけそれをよすがに思い出すようになる ことだという。これを聞いた王子は、いくらほかにたくさんのバラがあろうとも、自分が美しいと思い精一杯の世話をしたバラはやはり愛おしく、自分にとって 一番のバラなのだと悟る。
キツネと別れるときになり、王子は自分がキツネと「仲良く」なっていたことに気付く。別れの悲しさを前に「相手を悲しくさせるのなら、仲良くなんか ならなければ良かった」と思う王子に、「黄色く色づく麦畑を見て、王子の美しい金髪を思い出せるなら、仲良くなった事は決して無駄なこと、悪い事ではな かった」とキツネは答える。別れ際、王子は「大切なものは、目に見えない」という「秘密」をキツネから教えられる。』



「おとなってほんとにへんなものだなぁ」と王子さまは訪れた小惑星を旅立つ時に呟く。
この物語は大人になって忘れてしまったものを思い出させるような話であると思う。

「大切なものは、目には見えない」というセリフが度々出てくるが、確かにそうだと思う。
「~が大切」と世間で言われていたとしても、結局は自分の中でそれが本当に大切なことなのかを判断することになる。
本当に大切なことは人から何と言われようが自分の中に大切に持っておくべきだ。
でなければ後々本当に大切なものって何だったんだろうと悩むことになる。
目に見えない大切なことが分かる人は分かってくれるし、分からない人は目に見えるものの大切さを主張しているに過ぎないのだから、分からない人に何を言われてもある程度は大丈夫な強さを持つことが出来るだろう。

逆に、危険は目に見えるっていう存在が、王子さまの星のパオパブの木や火山なのではないかと思う。
パオパブの木は種から芽が出てほったらかしにしておくと、星じゅうに根をはって星を破裂させてしまう。火山はすす払いを怠ってしまえば噴火する。

「ハインリッヒの法則」というものがあって、一つの重大事故の背景には29の軽微な事故があり、その背景には300の異状が存在するというもの。
目に見える危険をほったらかしにしておくと、何か重大なことが起こるというのもこの法則から納得がいく。
危ないことって直感的に何となく分かってしまうものだ。そういうものを見逃さないようにしないといけない。
大人になると危険が見えるようになっても、忙しくてまだまだ大丈夫と見過ごしてしまいがちかもしれない。

この物語で王子さまが言っていることを考えられるようになると生活が微妙に楽しめるようになるんじゃないかな。
と同時に現実や大人に対しての疑問も芽生えてくるけれど、そういうことを考え出すと引きこもって星ばかり眺めてしまうので、程々のバランスが大事。笑

「カフカ / 変身」

ある家に夫婦とその息子と娘の兄弟が住んでいる。
父は仕事から引退し、一家の経済の担い手は息子である。
ある朝目覚めると、その息子が毒虫となっていた。
それからの一家の動揺を描く。

この一家の息子グレゴールは説明も無く毒虫になってしまい「これはいったいどういうことだ」と動揺したように見えるが、その後はどうしようどうしようと慌てることもなく、今後の人生を絶望することもなく、どうやったら毒虫から人間に戻れるかを考えるでもなく冷静であり、毒虫となった自分を家族に受け入れてもらいたいと思っているような気がした。

一方の他の家族はというと、父は働きに出て、母は鍵のかかったグレゴールの部屋をたまに見に行きたいと言うが、グレゴールのグロテスクな姿を見ていつも卒倒してしまう。グレゴールを気にかけてはいるが、気味が悪いという気持ちも強いのだろう。
娘は気味悪がりながらも兄であるグレゴールの世話をしてくれている。

色々あってグレゴールは衰弱して死に、家族はグレゴールと住んでいた家を出て引っ越す。
最後は皆、グレゴールの世話をしていた娘でさえもグレゴールを嫌っていたように見えた。

家族の一人の状態が変わってしまったことで家庭が変調をきたし、フラストレーションのようなものや不安が溜まっていく中、その原因の家族が亡くなることで希望のようなものが見えてくる…こういうストーリーは「ギルバート・グレイプ」に似ているなぁと思った。

グレゴールは毒虫になってしまい、彼の死まで数奇な人生を過ごすことになるが、毒虫というのは何かの象徴なのではないかな。
グレゴールは仕事についての不満を訴えていたし、仕事に行かなくなって(行けなくなって)しまったサラリーマンを抱えた家族の話というようにも見える。
この点では、数奇なようで普通の話のように思える「ベンジャミン・バトン」「フォレスト・ガンプ」に似ているような気もする。

いくつか挙げた映画は、このカフカの「変身」からアイディアを拝借したかどうかは知らないけれど、この作品はこの作品と似ているなぁと考えてみるのも、いとをかし。笑

塩野七生 / マキアヴェリ語録

この本は君主や国家戦略、群集心理などについてマキアヴェリの言葉を挙げて描かれており、元々は何世紀も前の古典的作品であるが、現代に応用しようと思えばいくらでも応用 できる内容が並んでいる。

何故ならそこに人間の本質が描かれており、それはずっと昔から変わらず継承されているということをうかがい知ることが出来るからである。


「過去や現在のことに想いをめぐらせる人は、たとえ国家や民族が違っても、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きてきたことが分かるだろう。
 だからこそ、過去の状態を詳しく学ぶものは、現在のことも容易に判断がつき、古の人々の行為を参考にして、対策を立てることが出来るのである。
 また、仮に完全に同じ状態が過去に見出せなかったとしても、本質的には同じなのだから、現在のことへの対し方も、容易に見通しがつくというものである。
 しかしこの教訓は、往々にして無視されるか、たとえ読んだとしても理解されないか、でなければ為政者に通じないかして、活かされない場合が多い。
 それゆえ、人類はいつになってもあいも変わらず、同じ醜態を繰り返している訳である。」

…アイザック・ニュートンの言葉で「巨人の肩の上に立つ」というものがある。
学問は先人の研究から成り立っており、巨人(先人の膨大な研究結果)の肩の上まで上ったからこそ遠くまで見渡すことができるのである。

サリンジャー / ナイン・ストーリーズ

「バナナフィッシュにうってつけの日」ほか、九つの作品からなる短編集。

「バナナフィッシュにうってつけの日」では、『バナナがどっさり入っているバナナ穴に行儀よく泳いでいき、中に入ると豚みたいにバナナを食べ散らかすバナナフィッシュ。あんまりバナナを食べ過ぎて、バナナ穴から出られなくなりバナナ熱にかかって死んでしまう』というバナナフィッシュについてシーモアの口から語られる。

シーモアという人はグラース家の長男である。前に書いたフラニーとゾーイーの兄にあたる。
彼は頭脳明晰でフラニーやゾーイーの尊敬を浴びるような人だったのだけれど、この作品では戦争経験の影響もあるのか少しズレた人のように描かれていて、最後には拳銃で自殺してしまう。

バナナフィッシュという存在はシーモアが作った架空の存在なんだと思うけれど、バナナフィッシュはシーモアに似ているんじゃないかなぁ。
シーモアは頭脳明晰であったが故に自分の世界に入り込み過ぎ、世間一般に適応出来なくなって死んでしまった…というようなことを思った。

その他にも「コネチカットのひょこひょこおじさん」、「対エスキモー戦争前夜」、「小船のほとりで」、「エズミに捧ぐ」、「テディ」が印象に残った。
どれも子どもが出てくる話なんだけど、サリンジャーが描く子どもというのは印象的だ。
無垢な存在であったり、無垢でないにしても、ませた子どもという感じが可愛らしい。
この辺の子どもの描き方というのは宮崎アニメに登場する子どもにも若干似ているような気がする。

特に女子の描き方には特筆すべきものがあるのではないのかな。
半世紀以上も前の作品だけど、この頃から妹フェチなんて分野があったのかもと考えてしまう。笑

この「ナイン・ストーリーズ」を含めてサリンジャーの作品では世間一般とはズレた人をテーマに扱っている気がする。
この辺はジョニー・デップと似ているなーと思って検索してみたら、ジョニーも「ライ麦畑でつかまえて」を愛読書に挙げておりました。やっぱ読書家だねジョニーは。
http://johnnydream.blog118.fc2.com/blog-entry-977.html

ズレた人にも個人的に色々と抱えていることがあり、それは世間一般に適応している人が抱えているものとも共通のものがあるように思う。
そう考えるとズレているように見える人でも、広い目で見れば普通の人のように思えてくる。こんな人もいっぱいいるかもな~と。

ズレているような人も普通の人として愛すべき存在に見えてくるのがサリンジャーの魅力かな。
プロフィール

Johnny

Author:Johnny
I guess you could say that freaks are my heroes.
「はみ出し者が、僕のヒーローなのかもしれない」

by Johnny Depp

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