日本人より日本人らしい外国人

日本人より日本人らしい外国人という人達がいる。
何故そう言われるのか?
それはやはり日本のことを日本人よりよく知っているからだろう。
日本は欧米化が進んでいる。

こんな時代だから普通の日本人より日本人らしい日本人がいたら輝くような気がするが。
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「初期の作品の方がいい」についての考察

ジブリでも音楽でも初期の作品のがいいな~と思う事があると思う。

やっぱり商売でやってるからには利益を出さないといけないので、初期の作品はウケる売れ線を狙ってくるのだろう。
そして利益を出さないといけないという必死さもあるし、ネタを盛りだくさんにして出すから質の良い作品が出来る。

「自分が目を付けたアーティストは有名になる」という人がいるが、そらそうだ。
テレビや雑誌やなんやらのメディアに出る頃にはとっくに芽が出ている。後は花が咲くのを待つだけ。

仕事では結果を出してからではないと自分の好きなようには出来ないだろうから、有名になって急に作風が変わったりする。
実際はその作風がそのアーティストの本当にやりたい事に近いのかもしれない。

アーティストがやりたい事がマイナーなことであれば、ウケずに人気がなくなるから前の方が良かったと思うのかもしれない。
同じことをやっていても飽きられるのでアーティストも頭が痛いかもしれない。

それと初期の作品にネタを盛りだくさんにしてしまって、だんだんネタが無くなって作品の質が落ちてきてしまうということもあるかもしれない。

「かもしれない」が多いかもしれない。笑

いじめ

子どものいじめをなくせるか?これは不可能に近い。

戦争をなくすのと同じくらい難しいだろう。

いじめを見て見ぬふりをしてはいけないとか、いじめを見たら止めなくてはならないとか言う人も多いが、そうした人はいじめられた経験がないといった人も多いと思う。
自ら止めた経験もなさそう。建前かな。

いじめは良くないと言って止めに行ったら、いじめている人のメンツを潰すことになる。
そこまで考えるのもおかしな話だが。笑

いじめを止めるには、いじめている人がいじめをやめることで得をしなければいけない。

いじめをやめて得、いじめられなくなって得、いじめを止めた人はいじめを止めたことで名を上げたり自己満足する。
3者WIN-WIN-WINの関係にならないと一件落着は難しい。

でもそんな取引は難しい。
話が通じない相手がいじめをやってるんだから。
あんぱんまんか、しょくぱんまんのような人がいじめをやめるなら友達になろうとか言ったら、いじめをやめるかな?笑
いじめを止めるのにも相応の資格がいる。
いじめている人と親しいがいじめをやってない人が、いじめなんて無駄だと説くのもいいかもしれないかな。

だけど、いじめなんて無駄だって話して分かるような相手だったら、いじめなんてやらないだろう。
そもそも、どこからがいじめかという定義も証拠の提出も難しい。

やはりいじめをなくすことは難しいが、いじめられるのを防ぐことはできそう。
何らかの抑止力を持つことだ。
武道を習っていればそれだけで手を出し難い。


核武装論やアメリカの銃の問題に似てるような気がするが。

「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」

タイタニックの陰に隠れたが、共に97’最優秀作品賞を争った名作。

映画を観た時に久しぶりにこんな感覚になった。
個人的にいい映画を観た時は、この映画に出会えて良かったという感覚になる。
同時に、何でもっと早くこの映画を観なかったのだろうと自分に悔いる。
しかし早く観ていたとしても今のように考えることは出来なかっただろうという矛盾した感覚。
観ている時は画面から自然と目が離れなくてずっと観ていたい、終わって欲しくないと感じる。
場合によっては涙が流れることもあるだろう。笑


マット・デイモンは孤独な天才を演じる。
頭がいいと言われる人は頭がカタいと言われる事がある。
知識はあるのに要領が悪いってことだ。

だが実際は全て見通しているのだろう。表面上の良い面だけでなく裏の悪い面も。
多くの人は自分で裏の面を体験しないと分からない。後で後悔する。

頭がいい人はそこが分かってしまうのだろう。分かってしまうことでもっと良い考えはないかと探し求める。しかし実際は完璧な答えなんてほぼ数学の中にしかない。
そして自分に自信を失っていく。相談できる人もいない。自分1人で悩んでいて行動しないように見える。

頭が柔らかくなれば、上手く割り切って世の中を渡って行く事が出来るだろう。





セラピストを演じるロビン・ウィリアムスが恋愛に関してこういう事を語る。
自分は誰にとっても完璧な訳ではないし、同じように完璧な相手はいない。
大事なのは理想から外れた相手の性格や癖を愛せるかどうか。世間ではそれを欠点とも言うがそうではない。
それすら愛しく思える”お互いにとって”完璧な相手が男女の結び付きには大切だ。


マット・デイモンの親友を演じるベン・アフレックはこのようなことを語る。
お前は親友だから悪く取らないで欲しい。
20年経ってお前がここにいたらぶっ殺す。お前は宝くじの当たり券を持っている。
俺には自慢する取柄は何もない。ここにいる連中はみんなその券を欲しがっているが、それを無駄にするなら俺は許せない。20年経ってまだここにいたら嫌味だろう。
お前といるのは楽しい。だけどお前は居なくなればいい。


…何というか自分の中でモヤモヤっと考えていたことがスッと晴れた気がする。
恋愛の話は言い得て妙だし、親友はベン・アフレックのように親友の幸せを願うべきだと個人的に思う。

ヒロインのミニー・ドライヴァーはこう言っていた。
「男は○○○でものを考え、○○○の為に行動する」
…男ってこんなもんだよね。考えすぎることはない。笑


主人公はヒロインのようにあるべきなんだろうと思う。
お互いの欠点を補完し合い愛し合う関係なんて最高だろうな。
現実はいつも嫌われる恐怖に負けてしまう。

人を知るには表面だけでなく、内面を形成した背景について考えることが重要だろう。
絶対的な欠点なんて殆どないはず。それは欠点じゃない。君は悪くない。君のせいじゃない。

映画の点数評価について

映画に点数を付けていたが止めます。
映画の点数は客観的な評価を心がけていたが、映画の評価は主観的なものであるべきだと思う。
自分にとっては最高の映画だが世間の評価はどうだと気にして点数を下げたりするのは気が進まない。
そして観るタイミングによっても感じ方が違う。ここは重要だと思う。

判官贔屓

判官贔屓という言葉がある。
意味は、弱いものに応援したいと感じる日本人特有の美しい心…というような感じだったかな。

だけどそんなん嘘臭いよ。弱いものに味方したら反感買うじゃん。
判官贔屓なんてヨソ行きの言葉で、本心は強いものの味方だろう。

いじめられている人の味方なんて出来るか。
そんなことをしたら自分がいじめられる。

ここが判官贔屓の最大の矛盾。

例外があるとすれば、下心か飛んで火に入る夏の虫か。

「誘う女」

騙す人の手口っていうのは客観的に冷静に見るとおかしい点が見えてくると思う。

だけど騙す人は、騙されそうな人にターゲットを絞る人選が上手いんだろうね。

Normal

普通の人は普通じゃないと生きられない。
何故ならみんな普通だから。
普通だから味方がいっぱいいて安心。

自分は普通じゃないと思ってしまうことはいけないことだ。
普通の人が普通じゃなくなると普通じゃないと言われるから普通じゃないといけない。

普通じゃないと言われたくないから普通のことをして普通のことを言う。
普通の会話や普通の行動が楽しい。
何故なら自分が普通であることが嬉しいから。

でも本当は普通にしていることがキツい。
ちょっと普通じゃないかもしれないと思う。
でもね、がんばる。

普通じゃないと困る世の中だもん。
普通にしてりゃ平和だもん。
あたし普通で良かった~!


…えっ普通にやってりゃいいんじゃないの!?

あたしずっとこうしてきたの!!

おかしな事ばっかり言う上司がいてさぁ~参っちゃうわよ全く。
あれが普通だなんて思ってるのかしらね!

「シンデレラマン」

恐慌による貧困から這い上がっていくストーリー。

旦那は破滅的な生き方をし、嫁は旦那を罵倒し見捨て、子どもは両親や兄弟と離れ離れになって荒んでいく…


なんてことはない。
夫婦共にいい人達なので安心してご覧下さい。笑
逆にそんな旦那と嫁だったから貧困から抜け出していけたのだろう。


男は無謀とも思える挑戦をしたがる。

女はそれを止めようとするが、最終的には男の挑戦を黙って見守るしかない。

男は女や子どもを守る責任がある。
時に男は自信満々だ。
それは見せかけだったりもする。

挑戦が失敗した時、男は女を失望させたと悩む。
それなら無謀な挑戦なんてしなければいいのに。

けれども男は無謀とも思える挑戦を止めない。


それは何故なら…


男だから。笑

アクターズ・スタジオ・インタビュー

外国の俳優って男優・女優問わす冗談を話に織り交ぜて話すから面白い。
外国ではジョークの才能も人間的な評価に繋がるのだろうか。

そして彼らは非常に勉強家で努力家だ。
やはりトップスターの才能は努力から作られるのだろう。

それからサポートしてくれる人への感謝と尊敬を欠かさない。

彼らは謙虚であり強かである。
自分の実力に慢心することなく、常に成長し続けることを望んでいる。


だからトップスターであり続け、素晴らしい演技が出来るのだろう。

核兵器

日本は核兵器を持つべきか持たざるべきかという議論がある。

唯一の被爆国の経験として日本は核を持つべきではないという意見がある。

それに対して国防の為に核を持つべきという意見もある。

なぜ核兵器を持つべきではないか?
核兵器を使用すれば多くの犠牲が生じる。

なぜ核兵器を持つべきか?
核戦争を防ぐため。核抑止だ。

核兵器を持つのにもその国の事情がある。
日本にもそんな事情があるのだろう。

しかし核兵器を持つことで経済制裁が発動され、日本に入ってくる物資が限られてくる為に物の値段が上がって家計は大変なことになるだろう。

日本ではあまり核武装について議論されていないような気がする。
日本は非核三原則を遵守する立場にあり、その原則に異論を唱えることはいけないことだという風潮があったと思う。

最近はそれを変えようとするような流れが出てきた。
ようやく議論される余地が生まれてきたということだ。

そうして平和とは何かというところまで話し合って欲しい。
犠牲を払って全体の平和を手にするのか。
そうして手に入れた平和は本当の平和なのか。
核武装する以外に平和を保つことは出来ないのか。

核武装無しに平和を保つには具体的なビジョンが必要だ。
被爆された方々が訴えてきたことを無にしない為には、核兵器のない世界について考えなくてはならないだろう。

「火垂るの墓」

この映画は毎年のようにテレビ放映されて、毎年のように観てしまう不思議な作品。
そして観る度に違った印象をもたらす。

最初に観たのは小学生の時ぐらいだろう。
ただ恐かった。内容はよく分からなかっただろうし特別興味を持つこともなかったと思う。

内容面に興味を持ち始めたのはごく数年前だっただろう。
初めて最初から最後まで集中力を切らさずに観た。

その時はただただショックで泣けてきた。
戦争は悲しいことだと思った。
しばらくは観たくないと思った。

だけど何故だろう。不思議とまた観てしまう。
いじわるおばさんに若干の共感と清太の愚かさを感じた。

そうして何度も観ていると、冷静に登場人物を見渡して立場や感情を考えるようになった。
そして今回の鑑賞で感じたことは、この作品に悪い人はいないということ。

清太は父を海軍に持つプライドがあって、子どもだからあんな行動を取った。
あのおばさんが特別いじわるな訳ではないだろう。
おばさんは言い方がキツいが当たり前のことを言っている。
いじわるおばさんは゛世間゛の象徴なのではないかな。

自らのプライドと幼さから世間を拒絶した清太は、節子と共に2人っきりで生きていく決心をする。
しかし結局は盗みを働きプライドを失ってしまう。
妹の前で涙を流す。
母の遺体を目の当たりにしても涙を見せることはなかったのに。

世間との繋がりを絶って生きていくことは出来ない。
この辺りは現代の若者にも通じるメッセージが残されているのではないかと思う。
表面上の単なる反戦映画ではなく、違った表情を見せる作品である。


蛇足だが、かの有名な清太のセリフ「節子…それはドロップやない、おはじきや…」というものがあるが、実際は「節子、それドロップちゃうやんか。おはじきやがな」…と言ってたような気がする。笑

ブレる

麻生総理の代名詞に「ブレる」というものがある。

そもそも何故ブレるのかと言うと、人の意見を聞き過ぎてそれに流されてしまうからである。

何だ~総理いい人じゃんとも思うけど。

自分がこうしたいという確固たる思いが形成する軸に従って行動すれば、そう頻繁にブレることはないだろう。

そう仮定するなら総理は、こうしたいという軸が無いのかもしれない。

自分も人の言うことに流されやすいところがある。
生きていく上で自分の信念を持って、ブレないように行動することを心がけていきたい。
プロフィール

Johnny

Author:Johnny
I guess you could say that freaks are my heroes.
「はみ出し者が、僕のヒーローなのかもしれない」

by Johnny Depp

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