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高田純次 / 適当論

古田敦也が、50歳過ぎたら高田純次になりたいと言ったらしい。
何が古田にそう言わしめたのか…精神科医の和田秀樹との対談で、高田純次の魅力を垣間見ることが出来る一冊。

彼は適当男と言われているけど、それはイメージだけで中身はしっかりした人だと思うな。
実際、彼は仕事も家族もうまくやっているようだし。高田純次より適当な人はたくさんいると思う。
適当っていうのも計算された適当という感じを受ける。
和田秀樹の言うような、完全主義や白黒の世界から間を置いた適当なグレーの存在とでも言うのだろうか。

高田純次の発言で印象に残っているのは「人生はバランスだ」ということ。
悪いことがあっても、人生はバランスだと考えることで次に良いことがあると考えることができる。良いことと悪いことで±0の発想を持つというもの。

若い頃は悪いことがあると悪い方に考えすぎたりすることもあったけど、最近はそんなことが無くなってきた。
これまでの人生経験で、悪いことが後々の役に立っているという実感があるからかな。
逆に良いことが続くと後で悪いことがあるんじゃないかなと心配になってくる。

運が良かったと感じる出来事があっても、そこで運を使ってしまって後で悪いことがあることもある。
逆に運が悪いと感じる出来事があった後は、何かツイてることがあるんじゃないかな。
おみくじでは凶を引くべきか。笑

高田純次は高校・大学受験で志望校に落ちて挫折を何度も経験したり、会社勤めをしたり貧乏生活の下積み時代など、不遇の時代もあったけれど、それが今に繋がっているという実感があるんだろうな。

それと意外だったのが「毎日生きていくのがやっと」という発言。
彼はけっこうお金もあると思うし、仕事も楽しんで人生を余裕で生きているんだろうな~というイメージがあった。
肩の力を抜いて生きているようで、毎日生きているのがやっとだという発言は深いな~。

この本を読んで、自分も高田純次のようになりたいと思った。
だけど一朝一夕になれるようなもんでもなさそうだ。
高田純次は一日にして成らず。笑

それだけに挑戦してみるだけの価値はあるだろうな。笑

サリンジャー / フラニーとゾーイー

amazonのレビューを拝借…↓↓

『グラース家のフラニー(末っ子)とゾーイ(下から2番目)の話。

例えばAさんがいて、Aさんは読者モデルでたまに雑誌に出たりするのを、自慢に思ってます。そのまま自慢するんならかわいいもんだけど、ぜんぜん自慢に思ってない振りをしてるのね。「こんなこと別に普通のこと」って装うことで、二重にかっこつけるわけ。
Aさんが、近くにいたときどう反応します?

1.Aさんの策略にまんまとはまり、「Aさんかっこいいわぁ」と素直に感心する。
2.Aさんの偽装を敏感に嗅ぎ取り、「あほか、こいつ」と軽蔑し不快感を感じる。
3.Aさんに不快感を感じる自分に対し、不快感を感じるという、無限地獄に陥る。

Aさんはいっぱいいて、下手すると周囲の人みんなにそれを感じちゃうかもしれない。
全員をそんな風に思うとき、止められない不快感がやってきて、でもそんな風に思う自分も、何かしらの自負心があって、結局自分も一緒じゃん、っていうドロドロ感が襲ってきて、同時に、周りを軽蔑してる自分の心の狭さに、自分て人間失格だと涙するかもしれない。

そんな状態のさらにひどいバージョンになったのが、フラニー。
そんなフラニーの気持ちは痛いほどわかってて、それでも、どうにかして慰めようとするのがゾーイ。

フラニーもゾーイも好き。二人とも「あと一押しで崩れちゃいます」っていうギリギリのとこにいるのに、一生懸命。すごく必死にしがみついてる。優 しさを持とうとしてる。そんな風に思えた。特にゾーイは、自分がだめな人間だとヒシヒシと感じながら、もがいても無理だと感じながら、それでも もがいて もがいて もがいてる。
読後になんとなく救いが感じられ、幸せになれるような気がする本でした。』


サリンジャーの本は、自分変わってるかも…と少しでも思う人が読むと救われるものがあるのではないかな。

この本はあえて(?)主人公を才色兼備の人物にしたところがいい。
フラニーが才色兼備ではなくて一般的な人物だったら、ブスのひがみだと相手にされないだろうが、本作の設定で若者特有の悩み事であるとの普遍性を持たせた。

「太っちょのオバサマ」ってラストは、何をするにも太っちょのオバサマが見ていると思って彼女の為に行動しようってことかな。
「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」を否定することもまたエゴであるという考え方には感心した。

サリンジャー / ライ麦畑でつかまえて

主人公のホールデンに関して、この子は頭が良いんだろうなぁと思ったけど、ズレたところがあって不器用なんだなぁと思った。

大人社会やそれに習う高校生活への嫌悪感から高校を中退するホールデン。
しかし高校を中退してみると同級生の生徒と離れてしまった寂しさを感じている。
ホールデンは子どもや妹のフィービー、それから優しい尼さんに好意を抱いている。
それは彼らが大人社会に染まっていない無邪気な存在もしくは自分を認めてくれる存在だからだろう。

ホールデンは酒を飲んだりタバコを吸ったり、高校の同級生を低脳だと罵ったりして大人のような振る舞いをしているが、精神的に大人になりきれていないのだろう。

ホールデンはフィービーから将来なりたいことを聞かれて「ライ麦畑の捕まえ役」と答えた。
「ライ麦畑の捕まえ役」というのは、崖っぷちのライ麦畑で遊んでいる子どもたちが崖に落ちないように捕まえてあげる人のことらしい。
多分、フィービーが崖から落ちそうになったらホールデンは助けてあげるのだろう。

この崖から落ちるということは何を象徴するのだろう?
多分、大人社会に染まっていくことなんだろうと個人的に思うけど、フィービーをずっと捕まえてたら自分と同じような苦しみをフィービーに味合わせてしまうから、結局ホールデンは捕まえるのを止めてしまいそうだ。
そしてホールデンも結局、嫌々ながらか開き直ってか分からないが、崖から落ちて大人社会に適応していくんだろう。

社会に対する不満を述べるのはカッコいいように思えるところもあるんだけど、ずっとやってると滑稽というかミジメなように見えてくる。
この本には10代の頃に出会いたかった。
しかし10代の頃に読んでいても訳が分かんなかったかもしれないそういう本。笑
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Johnny

Author:Johnny
I guess you could say that freaks are my heroes.
「はみ出し者が、僕のヒーローなのかもしれない」

by Johnny Depp

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